西洋美術史で画家・彫刻家の第一の発想源は『聖書』、第二はイタリアの詩人ダンテ・アリギエーリの代表作『神曲』であるとされています。『神曲』は「地獄編」「煉獄編」「天国編」で構成されており、ダンテ自身が地獄、煉獄、天国を巡る旅をする物語です。
人間は死後、生前の行いに応じて「地獄」「煉獄」「天国」に行くことになっており、特に煉獄は天国行きに及ばなかった人が、天国へ行く前に生前生きたのと同じ期間修行する場所とされています。
この作品でダンテは地獄では悪魔を、天国では神の恩恵のもとに聖母マリアを見ることになります。全編を通して次々と登場するギリシア神話やローマ神話、聖書の登場人物、また当時のイタリアの政治家や著名人との対話によって、それぞれの場所の情景が臨場感をもって描かれています。
普遍的な内容と幻想的な世界観による叙事詩として世界文学史上で最大の古典の一つとされる『神曲』ですが、その概要はwikipediaの『神曲』にありますので、ここではこの作品が示す善悪に対する価値観を総括し、ビジネスパーソンの皆様が難しい決断をする際の支えとなる善悪の判断基準の要諦を説明していきます。
『神曲』では自由意志のもとにこの世でどう身を処してきたかの全責任は当人が負うとしています。天国か煉獄かそれとも地獄に行くかはその人の決断次第というわけですが、できることなら自ら地獄行きを選択して痛い目には遭いたくないものです。
決断する機会の多いビジネスパーソン(特に経営層、管理職、マネジメント職)の方には『神曲』が示唆する善悪の判断基準を、日常的な決断時の指針にするのも良いのではないでしょうか。
まずは『神曲』にあるギュスターヴ・ドレによる挿絵と一緒に地獄、煉獄、天国に登場するシーンの一部を見てみましょう。それぞれの場所がどのような場所なのか臨場感をもって表現されています。
次に『神曲』が示唆する善悪の価値基準を挙げていきます。
- 聖書における3つの徳は「信仰、希望、愛」である。天国にあっては信じる到達点を実際に見るため「信仰」は存在せず、望んだ至福を実際に持つため「希望」も存在しない。しかし「愛」だけは永遠に続く。天国に行くには3つの徳と次の4つの基本道徳は必須である。
- 4つの基本道徳は「正義(善行に励み徳を積むこと)、力(能力を得るべく鍛錬すること)、思慮(知識に拠り考えること)、節制(忍耐すること)」である。
- 7つの大罪は「傲慢(自らを偉大だと思うこと)、貪欲(欲深いこと)、邪淫(快楽を求めること)、嫉妬(他人の物を欲すること)、貪食(大食い)、憤怒(激しい怒りの感情)、怠惰(努力を怠ること)」である。7つの大罪を甚だしく犯した者は永遠に続く地獄に行くこととなり救いの希望はまったくない。また、その度合いによっては煉獄で懺悔の機会が与えられる場合もある。
また『神曲』は下記のような価値観も示しています。
- 小は大に及ばない
- 略すべきものは略さねばならない(簡潔は善)
- 全体を見ず一箇所だけを見てはならない
- 時を惜しむ者は幸い
- 懺悔する者は幸い
- 「裏切り」は最も罪が重い
- 不正に富を得てはならない
- 甘い話に乗ってはならない
- 簡単に約束をしてはならない
- 人の争いに耳を貸してはならない
- 穂が実らないうちから穂の数を勘定してはならない
- 隠せることは何もない
- 英雄はみな努力し、探し求め、屈服しない意志において強固
- 太陽や諸々の星を動かすのは神の愛である
余談ですが、ギリシア神話では、メドゥーサ退治に向かった英雄ペルセウスやトロイア戦争でトロイアの木馬の策を考案した英雄オデュッセウスに女神アテナが後ろ盾となったように、難しいことに挑戦しようとする者に守護神が現れるシーンが度々見られます。自ら運を引き寄せるためには果敢に挑戦しなければならない、挑戦する者には運が味方をするというメッセージが込められているように思えます。神という絶対的な存在に価値基準を置くことが、今でも続く西洋文化のルーツであり強さであることは間違いありません。
さて『神曲』では、生きるものは自然と技法の手段で生計を立て子孫を繁栄させなければならないとされています。詩人ダンテは神から啓示を受けた時に筆を取るという一文があり、作品は不自然な方法で作るべきではないというダンテの創造へのポリシーが垣間見えるようです。
ちなみにフランスの彫刻家 オーギュスト・ロダン(1840〜1917年)の代表作「地獄の門」は「神曲」に着想を得て制作された彫刻です。また「地獄の門」の上に座る人を抜き出した「考える人」は、地獄の門の上から地獄に堕ちた人々を見つめ考え込むダンテを表したものであると言われています。東京の上野公園内にある国立西洋美術館では「地獄の門」や「考える人」を見ることができます。「神曲」を読んでからこれらの彫刻を見るとより「神曲」の世界観を楽しむことができます。
西洋文化のルーツを理解するうえで最も重要な書籍である「神曲」を手に取ってみてはいかがでしょうか。口語訳で理解しやすく要約や訳注も置かれた「神曲」(ダンテ著・河出文庫 刊)をおすすめします。書籍の詳細は下記の表紙画像をクリックしてご覧いただけます。
(当記事執筆者:辻中 玲)