精神分析学の創始者として知られる、オーストリアの精神科医・心理学者のジークムント・フロイト(1856年〜1939年)の著書「精神分析入門」から人の心理構造について解説します。ビジネスは人の心理を相手にしており、決断をする機会の多いビジネスパーソン(特に経営層、管理職、マネジメント職)の方は、顧客心理の理解なくして適切な意思決定を行うことはできません。
また、ビジネスの目的を理解するためには、まずは労働の本質を知る必要があり、そこには人の深層心理が深く関係しています。本記事では、ビジネスを成功に導くために理解しておきたい人の心理構造の要諦を解説します。まず、精神分析学における心理構造を理解するための原則を下記に紹介します。
- 人間の生命の原動力は「性欲動のエネルギー(リビドー)」である
- 本能的に男性は母親に、女性は父親に愛着・執着を持つ
- 男性的な欲動は能動的、女性的な欲動は受動的である
- 睡眠時に見る「夢」の目的は願望充足である
また人の心理構造は下記のような原則で構成されています。
- 意識領域には、自ら認識可能な「意識」、努力すれば意識化できる「前意識」、自ら認識できない「無意識」がある
- 心理領域には、自らの意識で制御できる「自我」、道徳を司どる「超自我」、無制限の情欲である「エス(イド)」がある
- 「エス(イド)」は無制限な情欲を司どり快感原則を厳守する
- 「超自我」は道徳の権化で、種族および民族の伝統(自らのルーツ)を引き継いでおり、両親の超自我を模範とする
- 「自我」は「超自我」と「エス(イド)」を統制し自らを外界に最適化させる
フロイトは人は「エス(イド)」の欲動の満足を盲目的に追求するなら破滅を免れないとする一方で、「自我」が「超自我」や「エス(イド)」の重圧に耐えられなくなると精神の不調をきたすとしてます。つまり、性欲動の制御が精神の安定には不可欠ということになります。しかし性欲動のエネルギー(リビドー)は強力なため、抑制することは容易ではありません。このテーマに対してフロイトは「性欲動のエネルギー(リビドー)」は労働に転換することができるという解決策を提示しています。
- 性欲動はその目標を(労働に)変更する能力がある
- 人間社会を動かす動機は究極的には経済的なものである
- 社会は性欲動のエネルギーを、性的目標から社会的目標(労働)へと振り換えなければならない
当時、フロイトの提唱はセンセーショナルで多くの反発があったようです。その理由としてフロイトの活躍した1800年代後半〜1900年代前半は科学が現代ほど発達していないという時代背景がありました。しかしフロイトは、自らの研究プロセスにおいては対象を探究し確認するというスタンスを貫いており、その成果が科学的であることを主張し続けました。フロイトによる科学や哲学、芸術についての言及を下記に紹介します。
- 科学も哲学も宗教も真理を目指すもの
- 科学には心理学と自然学しか存在しない
- 科学は現実的外界を強調し錯覚を拒否する
- 科学の手強い敵は宗教である
- 宗教は知識欲を満たすが掟を掲げ禁止と制限を申し渡す
- 哲学は知識階級の上層の少人数の関心を惹くだけである
- 芸術は幻想で無害有益である
- 芸術家は白日夢に手を加えて、他人の反感を買うような個人的なものをなくして、これを他人と一緒に楽しめるようにする術を心得ている
- 芸術家は他の人間が無意識という近づきがたくなっている快感の泉から、ふたたびなごやかさと慰めとを汲むことができるようにする
最後になりましたが、生涯をかけて精神疾患のある患者に向き合い続けたフロイトは「心理的な変化は徐々にしか起こらない」として根気強い治療の重要性を説いています。また、人間の共同生活を困難にするのは攻撃欲動であるとしています。それが男性的な能動性であるとすれば、戦争が起こり続けるこの世界は、相対的に男性が社会的な行動を起こす機会が多いからなのかもしれません。社会的・文化的に作り出された性差によって生まれる不平等や格差が世界の不調和を生み出しているとすれば、昨今のジェンダー平等への取り組みにも深い理由があるようにも思えます。
フロイトは人間の至上の幸福はただ自分になりきることであり、選択の余地があるものならば運命を相手に正々堂々と戦って滅んで行くほうを選ぶべきだと述べています。
ビジネスを成功に導くためにビジネスパーソンは、あらゆる行動について人の「意識」だけでなく「無意識」にも働きかけていることを忘れてはなりません。これは同時に表面的で浅はかな思慮では人の心は動かせないことを意味しているのではないでしょうか。創造的な活動に従事する全ての人に是非「精神分析入門」を手に取ってみていただければと思います。下記のリンクから詳細をご確認ください。
(当記事執筆者:辻中 玲)