パーパス経営のための「慈愛」の本質をキリスト教の正典である「新約聖書」の内容をヒントに考察していきます。キリスト教の絶対的な存在は神ですが、神は次のような一貫した価値観に基づいて人に恵みや罰を与えるとされています。
- 恵みは信仰を持って求める者に与えられる
- 高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる
- 過ちを悔い改める者には与えられる
- 雄々しい者には与えられる
- 誠実な者には与えらえる
- 忍耐する者には与えられる
- 善悪いかなる行為も必ず明らかになる(隠し事はできない)
- 恵みや罰がいつ与えられるかは予想できない
- 人の欲望は罪を誘発しやすい
- 裏切り行為は最も重い罪を負う
さて、キリスト教においては「信仰(信じること)」と「希望(願うこと)」そして「愛(大切に想うこと)」は永遠であり、その中で最も尊いことが「愛」であるとしています。 キリスト教が意味する「愛」は、隣人愛や兄弟愛ともいわれ、他者を敬う心や他者に思いやりを持って接することを意味しています。「愛」については、キリストの使徒パウロによって書かれた次の一文によってより深く理解することができます。この一節は結婚式で読み上げられることが通例になっています。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
(コリントの信徒への手紙より)
さて、この一節は率直にそのまま、企業におけるパーパス(目的)の核心となり得ます。企業が慈愛の精神を中心に据えることで、徹底したユーザー目線の実現が可能となります。また、慈愛の精神を核としたパーパスにより、邪悪な意図や利己的な活動を行う余地を減らせるため、企業が社会にとってより良い存在となることに貢献します。
現代社会において、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の対立構造は多くの社会的な問題を生んでいますが、これらの宗教は歴史を辿ると旧約聖書に登場するアブラハムに辿り着きます。これは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同一の神を信仰していることを意味しますが、歴史の解釈や価値観の違いが現代の人種や宗教対立につながっていることになります。それ以外にも世界には、ヒンズー教や仏教など様々な宗教が共存しています。
価値観の多様化した社会への理解を深めるためには、経営者はより広い視野を持って、様々な文化や哲学の歴史を理解することから始めなければなりません。余談ですが「日本資本主義の父」と称される「論語と算盤」の著者である渋沢栄一は、東洋の「仁」の意味するところは西洋の「愛」の意味するところとほとんど同じであるとしています。ビジネスにおける決断の助けとなる「仁」や「愛」(慈愛)という哲学を知ることは経営者にとって最も重要です。詳細は下記も合わせてお読みください。
さて、聖書には旧約聖書と新約聖書があります。旧約聖書続編も合わせると約2,400ページと分量がありますが、慈愛の精神はもとよりユダヤ教とキリスト教の成り立ちへの理解も深まりますので、特に経営者やマネジメント層の方にはおすすめです。下記よりAmazonで詳細をご覧ください。
(当記事執筆者:辻中 玲)